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2005年11月23日

・映画「待合室」

来春には私が中学~高校時代に生活していた町
一戸町小繋駅の待合室がテーマになった映画が上映されます。
父は国鉄職員だったため高校時代には小繋駅に助役として勤務していました。
当然私達家族の住まいは小繋駅側の国鉄官舎に住んでいて
映画の題材となった立花さんは「立花商店」が食料品の買い物に行くお店です。
また現在私がブログを通じて山菜、きのこ、釣りについて投稿できる原点はこの小繋地域にあります。

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写真1:小繋川はこんな風景

映画「待合室」

脚本・監督 板倉真琴
出演:富司純子(ふじすみこ) 寺島しのぶ ダンカン あき竹城 斉藤洋介 市川実和子 利重剛 桜井センリ 仁科貴 楯真由子 風見章子

一戸町と遠野市を中心にオール岩手県内ロケで撮影された映画。
一戸町小繋で酒屋を営む実在の女性をモデルに、板倉監督が初メガホンをとった作品。
「命の大切さ」をテーマにしています。

是非ご覧になって頂きたいと思います。

「待合室応援サイト」http://www.geocities.jp/cinema_matiaisitu/

●私の中学時代の回想です。
          ↓

イワナと初めての出会い

中学1年に進級する時、国鉄職員だった父に助役昇進の移動命令があり家族共々東北本線の沼宮内駅から西岳信号所の国鉄官舎に引越しすることとなった。

西岳信号所は東北本線の奥中山駅と小繋駅との中間にあって盛岡から車で40分位の位置にある。
当時の列車(蒸気機関車)の線路は単線だったため、この中間地点で上りの列車と下りの列車との衝突を防止するために、片方の列車を一旦別車線に待機させてその間に別の列車をストップさせることなく通過させる。そんな役割をしていたのが信号所であった。

この信号所の周り10km圏内には一般集落はなく、信号所に勤務する職員と保線区の職員が居住する10棟の国鉄官舎のみであった。一日に通学のために朝夕一回づつの停車があるだけで、車を持てるのは限られた人達だけだったから通学も買い物にも大変不便な環境にあった。列車に乗り遅れた時などは、一つ手前の小繋駅か一つ向こうの奥中山駅で下車して二時間かけて歩く羽目になるそんな環境であった。
雨の日などは泣きながら家に帰った記憶がある。
そこで子供ながら色々知恵を絞りある楽な方法を考えつき二時間の歩きをゼロにする方法、それも冬だけしか出来ないことを実行した。
実は盛岡方面の上り列車は登り急勾配のため信号所付近では時速20km位になるため、飛び降りたのだ。

もちろん、父には内緒であるがもし発覚でもしたら、父は国鉄を退職しなけれならなかったと思う。)
当時の積雪は一日に50~60cmは当たり前だったし、時には深夜に1mも降ることがあり朝出かけるときなどは玄関の引き戸も開けられないことがあった。
現在と比較して想像もつかない雪の多さであったため列車から飛び降りても両足が雪の中に埋まる程度で大丈夫だったのだ。さて中学時代の私の遊びといえば、自然があり余るほどいっぱいありすぎるこの西岳にあっても、小学時代に父と行った丹藤川のヤマメ釣りが頭か離れず交通の不便さで行けず悶々としていた。

西岳信号所の東北本線と平行して流れているのが馬淵川の支流小繋川(小沢)、川幅が3m弱のヤブ沢で釣りをする人は皆無と言っていいほどいなかった。(魚はいないと思っていた。)
夏休みのある日、信号所の土橋さんがブラブラしている私に声をかけてくれた。「釣りさ行がねのが!」私は「丹藤川は一人で行げねぇ」と返事をしたら「そごの沢にサゲが居るがら釣ったらいがべ!」・・「サゲ」・・「んだぁ、ミミズをつけて沢にぶっこんで見ろ、でっけいのがかがるがら」父は助役会議で盛岡に出張していたため、土橋さんの話が本当なのか聞くことができなかった。

半信半疑で餌のミミズを残飯貯め場(豚餌貯め場)の周囲の土を掘り返し太ミミズをいっぱい取って小繋川に急いだ。線路を越えて土手を下りて30m歩いた所が目的の沢、ヤブが多くて丹藤川に比べれば川幅が狭いのに釣りずらい(ヤブの釣り方をマスターしたのは10年後の25才頃だった。)3mの川に屋根が掛かっているように雑木とバラまじりの草木が覆い被さっていて竿をおろすポイント極端に少ない。

蛇行している沢の外カーブにヤブにポッカリと穴があいていた。日差しが穴に向かっているためサーチライトのように川面を照らしていた。足音がしないように覗き込んでみると、なんと土橋さんが言っていた「サケ」がゆったり泳いでいるではないか!…見た瞬間心臓がドキドキ高まり始めた。優に45cm超えるかと思われる「サケ」である。「見だごどねぇ」そう思った。

「サケ」との距離は2,5m、土手のため高さは2m位の位置に自分がいて、その動きが手にとるように見えた。身体が震える(すごく興奮していた。)手でミミズを「サケ」の30cm頭先に下ろす。
「サケ」はスーッと近づき一発でミミズを咥えた。合わせて糸を張った瞬間、ミミズを飲み込んだまま上流に向かって3秒位で反転下流に走り糸はなんなく切られてしまった。
膝がガクガク震えて今まで経験したことがない興奮を味わい10分位茫然としていた。
あせる気持ちを抑えても震える手は止まらず、再度ミミズを付け直し何度も何度もポイントに下ろした。「サケ」はもうそれっきり姿を見せることはなかった。

…(土橋さんが言ってたことは本当だ!そう思った。
もう次のポイントに行くことよりも早く帰って誰かに話したい。そんな気持ちで急いで信号所にいる土橋さんに報告をした。
「45cmのサケがいだけど、逃がすてすまった。・・・」
土橋さん「うそだべ!」
自分「ほんとだっすよ」
土橋さん「45cm!聞いたごどねっど」「サゲでねぐイワナだべ!」
そんな会話があって土橋さんはイワナを「サケ」と言って子供だった私を驚かそうと考えていたのだった。
それにしても、土橋さんは釣りをしないせいかイワナの存在を信用しても45cmの大きさは信用してくれなかった。

そんなことがあって中学一年の時初めてイワナの存在を知ったわけである。
しかし、実物のイワナも写真も見たことがなかったから、翌朝学校に行く前イワナを知りたくて、あの大イワナのポイントに竿を下ろした。…釣れなかった・・というより姿を見ることもできなかった。
それから、数少ないポイントを探しながら初めて25cmのイワナを釣り上げた。背が黒く腹半分が黒の中に白い斑点があって腹下は橙色で気持ちの悪いものを釣り上げたような気がした。
その日の釣果は一時間位で5匹、すべて25cm前後だった。バラしたのは5匹、すべて25~30cm強のイワナで釣り上げることができなかった。(ヤブで釣り上げる操作技術が未熟だったためである。)後で、父から聞いた話では(小繋川にイワナが居るということを教えなかったのは)線路を越えることで事故の心配があったからということを聞かされた。

こんな出来事があって沢釣りから源流釣への「釣りバカ」行脚の出発点はここから始まったのである。
中学時代は西岳信号所にいて、それから高校進学と同時に小繋駅に移り住んだ。

平成17年現在の小繋川は昔と大分様相を変えて水量も少なくイワナの棲みそうな幻想的な沢ではなくなっていた。
釣り人が増えたこと、ブナ伐採による雨水の貯蓄ができない山、
温暖化による雨の現象等でイワナの生育にも大きな影響をおよぼしてしまった。

おいしい ランキング

投稿者 kirinkan : 2005年11月23日 21:30

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